正法眼蔵随聞記⑬
(正法眼蔵随聞記 6)
1・正道の乱れをただすのは縄が絡み合って固くなったのを解くようなもの、急いではいけない。よく結び目を見て解くのがよい。
・どんなに智恵・分別があって頭の良い人でも、道心が無く自己・利益・名誉を捨てられない人は本当の道理を理解することは出来ない。
改革や変革、改善、矯正は請求に行ってはいけない。丁寧に焦らずである。どんなに優秀であっても、自己保身、物欲、名誉欲を捨て去ることができない者は真理を理解することは出来ない。
2・人付き合いをせず自分の家だけで成長した人は、思いのままに振る舞い、自分の気持ちしか考えず、他者への思いやりや他者の気持ちを考えない。
引きこもりの我儘一人っ子は、人情の機微を理解することはない。
7・自分が仲間の学人に比べて優れた知恵を持っていても、議論や言い争いを好んではいけない。口汚く人を罵り、怒った目つきで人を見てはいけない。
どんなに能力があっても、ひけらかしや承認欲求に溺れ、好戦的な態度をとってはならない。しっぺ返しを食らう。 他者に放った敵意と憎悪は、必ずや自分に返ってくる。
1
0・千万の経論を学び得ても、自分に対する執着がとれなければ、しまいには悪魔の世界に落ちてしまう。
自身への執着を強く諫めているのが正法眼蔵随聞記の特徴の一つ。ある程度の執着は容認しても仕方がないとも思うが。この論理を悪用すると「所有財産を教団へ寄付せよ」という事件を引き起こすのではないかと思う。
12・悟りを得た人間はこんなではない。金玉と石ころを等しく見る。仏法においては物に軽重はない。ただ人間の分別判断と好き嫌いに深い浅いがあるだけである。
悟りを得ると、有する価値を客観的に判断するという非常にシンプルな思考になるのだと思う。
関連記事