左伝(11)
【楚の荘王制覇の時代】
「恭敬の心を忘れぬ人こそ、人民に慕われるのだ。(いくら主君の命令とはいえ)そういう人物を殺すのは道に外れた行為だ。かといって、主君の命令に背くのも裏切り行為だ。どちらか一つを選んで汚名を着るよりも、(どちらも選ばずに)死んだほうがましだ」
晋の
霊公に、諫臣の
趙盾を暗殺するよう命じられた力士(ショゲイ)の言葉。名君文公には似ても似つかない暗愚な君主をもった部下の悲哀を表している。
楚の
荘王が周王室の鼎の軽重を問うた際、使者の
王孫満が切り返した言葉
「鼎の価値は所有者の徳次第で決まるのであって、鼎自体の大きさや重さとは無関係であります」
得意の絶頂にあっても、礼儀や先達への敬意は忘れてはならない、ということであろう。自らの勢いと時代の流れが合っていないと天下をとれるものではない。力のみでは世論を味方にできないという意味も感じる。
逆の見方をすると、このような質問(鼎の軽重を問う)をされること自体、そろそろ衰えを自覚せよ、という客観的事実の表れなのかもしれない。
「『詩経』に、よこしまの民多きとき、ことさらに咎めだていたすな、とあるのは洩冶(セツヤ)のことを言ったのだろうか」
陳の君主霊公を諫めた老大夫・洩冶が佞臣に殺された(その謀略を霊公は知っていながら知らぬふりをしてわざと見逃していた)痛ましい事件を孔子が評して言った言葉。
佞臣のはびこっている世にあっては、いかに正義をもって事に当たっても結局は潰されてしまうものだということ。
少数派は無理をすべきではない、佞臣たちが衰えるのを根気強く待て、という教訓であろう。
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