呂氏春秋(34)
(名医の死)
「そもそも平和な時世での忠義は容易だが、乱世における忠義は難事である。」
(平時における忠義というものはお互いに余裕があるがゆえに危険度は少ない。しかし緊急時における忠義というものはお互いがぎりぎりの精神状態であるため、互いの生命を損なう危険をはらむものとなる。)
(せっかくの先見の明も)
「惑乱している者の禍患(かかん)は、間違っていない者を間違っていると決めつけるところにある。」
(惑乱している者が組織のトップである場合、この弊害は顕著である。正誤・善悪・正邪をしっかり見極められるトップや管理層の居る組織は安泰である。)
逸話 斉と魯の将来について
周王朝を建てるにあたり功績のあった【太公望 呂尚】と【周公 旦】は親友同士であった。呂尚は斉に、旦は魯にそれぞれ封じられたがその時にお互いの国をどのように治めるか質問し合った。
太公望呂尚は「賢人を尊重し実績を評価する」と言った。旦は「斉は将来、取って代わられるだろう」と予言した。
周公旦は「身内を大切にし、恩愛を大事にする」と言った。呂尚は「魯は将来、弱体化するであろう」と予言した。
この予言はそれぞれ現実のものとなるのである。
(能力主義(実力経営)を貫けば、組織は存続してもトップは交代することになる。同族主義(温情経営)を貫けば、その組織には寿命が訪れる、ということを示唆しているのではないかと思う。どちらかを選べと問われれば、社会的責任の観点からは、やはり能力主義でなければいけないだろうと思う。)
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