2021年07月02日
呂氏春秋(26)

(正義こそ万事の基準)
「善を行う者は賞し、不義を行うものは罰する、というのは古からの道理であって変易することは出来ない。事柄の不義と正義を弁別せずに大急ぎで救守・専守論を選んだならば、これは非常な不義を行うことである。」
(善行へは褒美を、悪行へは罰を、が古来からの普遍の道理である。物事の本質にある正義・不義をしっかりと見極めることもせずに、墨家思想の救守・専守論を採択したならば、安易すぎるし危険なことである。このように呂氏春秋は墨家思想を非常に危険視しているようだ。)
2021年07月01日
呂氏春秋(25)

(義兵は天下の良薬)
「軍隊を廃止してはならないことは、丁度、水や火を取り扱うようなもので、上手に用いれば福をもたらし下手に使えば禍を呼ぶ。正義の軍隊が天下に良薬の働きをなすこと、まことに大である。」
(墨家の非攻論に対する反論。軍備兵力への肯定であるが、天下の良薬になった軍隊など存在した試しはない。大義名分を備えてはいても、軍隊はしょせん他を殺傷する存在にすぎない。)
(実態をよく知ること)
「天下人民の長、すなわち君主の思うべきことは、有道を助けて無道を倒し、正義を称えて不正を処罰することである。」
(その通りではあるが、無道は倒さずとも制すればよいし、不正を処罰するのが必要だとしても、不正をさせない予防策も大切だと思う。)
2021年06月30日
呂氏春秋(24)

【Ⅲ 秋の節 ~獄訟を決すること、必ず正平~ 】
(愛の鞭はなくならない)
「怒りや責は家庭教育になくてはならず、刑罰は国家を治めるうえで無くすわけにはいかず、誅伐は天下の平和のためにやめるわけにはいかない。こういうわけで古の聖王が正義の兵を興すことはあっても、軍隊を廃止することは無かったのである。」
(指導者は厳しさを持ち合わせなくてはいけないということを述べている。ただ、だからといって殺傷能力を有する軍備を維持する事には賛成しない。悪を誅するために武力を用いることをやめなければ、いつまでたっても争いは無くならないのではないか。)
2021年06月29日
呂氏春秋(23)

(音楽は心のゆとり)
「音楽のつとめは人の心を和やかにすることにあり、人の心を和やかにするためには何事も程よく行うところにある。」
(音楽に限らず、芸術というものの在り方は人の心を和やかにすることと言える。心を和やかにする芸術は、刺激にすぎず、奇をてらわず、程よくバランスの取れたものである。)
(災害への対応)
「天が災害を下すのは、有罪の者を罰するためである。」
(災害にも天の意思というものがあるとする。しかし、天災は無実の民をも時には葬ってしまう。)
(積習の結果)
「多くのものの協調が積み重なって出来上がったものへの恵みは、あらゆるものが到来する一方、多くの邪悪が積み重なって出来上がったものへの災いは、あらゆるものが降り掛かる。」
(まさにその通りであろう。正しく構築した事績はその恩恵はあらゆる分野に及ぶものである。逆に、悪事を積み重ねて得たものは、いずれおぞましい災難をとめどなく呼び込むのだ。)
2021年06月28日
呂氏春秋(22)

(音楽は自然の調和)
「人間の欲望と罪悪とは天から(予め)与えられたもので、それに対して人間は関わり、変化させ、改易させることは出来なかった。音楽もこれと同じなのである。」
(人間の欲望と罪悪は元々備わっているもの、という性悪説を述べながら、それもまた天性のものとして受け入れよと言っている。音楽もまた天の創造物と捉え、それを退けることは出来ないことを主張している。)
(乱世の音楽は騒々しいだけ)
「人は自分の生命を持続させるために生きるのだが、生きる意味を尋ねようとはしない。人は自分の知識を増進するために(更に)知ろうとするのだが、なぜ知を求めるのかを知ろうとしない。知ることの意義を心得た者を道理をわきまえた者といい、知ることの意義を理解しない者を宝を棄てる者という。」
(物事の本質・原点を理解しようとするか否かに大きな違いが生じることを述べているのだと思う。生の意味、知ることの本質、どちらも大切かつ物事の大本となるものである。)