2024年11月29日
宋名臣言行録⑰

「邪念を抱き、情勢を観望し、時に応じて態度を変えるものは小人である。」(劉撃)
「聖賢の学問というものは、僅かの間に出来上がるものではなく積み重ねが必要である。積み重ねとは要するに『専念』と『勤勉』に他ならない。」(王厳叟)
「軍事は大賢かつ大徳の人がやることで、僅かの才能と知恵で動かすことは出来ない。動かせないだけではなく、それを口にすることさえ難しい。もし深い裏付けなしに容易に口にすれば大失敗を招くのが普通だ。」(徐積)
2024年11月28日
宋名臣言行録⑯

(第三章 哲宗と宣仁太后)
「党派争いの原因はゆく道(方向性)の違いによるものである。自分と異なる者は邪党扱いする」(范純仁)
「書物を読むということが科挙に仕官するだけの事に終わってしまえば、本当に道を学ぶ人がいなくなってしまう。」(范純仁)
「一万頭の馬が一斉に駆けている時に、途中で足を留めることが出来るのは唯一 王存 だけであろう。」
「人間は生きてゆくことには勤勉でなければいけない。勤勉なら欠乏に喘ぐとか行き詰まる、ということはない。」(蘇頌)
2024年11月27日
宋名臣言行録⑮

政治の場では、いつも相手のやることは何でも悪いと言い、建前上全てをひっくり返したくなるものらしいが、それで成功することは少ない。
最も必要な事は、迂遠ではあるが、長い見通しを持った変わらぬ理念を確立することであろう。
傅堯兪(ふぎょうゆ) は、天子の前では激烈な口調で論じ立てたが、事が済むと二度とそれを口にしなかった。
責任のある立場の者は、制度の中で決められた仕事をやり大臣や上役の悪口を言ったりしてはいけない。(批判は蔵しておいてもよい)
2024年11月26日
宋名臣言行録⑭

呂公著 の勉学は心情・本性の修練を根本においていた。欲望を抑え、粗食に慣れ、早口で話したり顔色を変えることなど無く、せかせかしたり怠惰な様子は全く見せなかった。
「仏学というものは心や行動が簡潔で、要に当たることだけを尊ぶだけである。必ずしも多くの事を習得して世捨て人になることではない。」(呂公著)
呂公著 は心を正し邪念を払うことを旨とし、危篤になっても精神は乱れず、手足や声の調子も変わりなくそのまま大往生した。
「自分自身が悪いと始終言い聞かせ、かつ、ほんの少しも見落としもしないよう反省していると心は満ち足りてくるものだ。わざわざ苦労して他人の事を気にする暇があろうか。」(呂公著)
2024年11月25日
宋名臣言行録⑬

目から鼻へ抜けるような秀才型の人間は、一瞬の輝きは有っても長丁場は持たないものだ。
「新法が実施された当初は古くからいた者は積極的になってはくれないものだ。その為、才能と実行力のある者だけ使い、新法の目途がついたら老成熟達の士と交替させる。これが頭鋭き者が行動し、心優れた者が守るということだ。」(王安石)
「君子は得難く、小人は得易い。小人が地位を手にすれば手放しなどしない。追い出せば深く恨み(任命者は)後で必ず(一度任命したことを)後悔するだろう。」(司馬光)