2021年02月12日
左伝(14)

左伝も今回で最後。
【呉越争覇の時代】
孔子の高弟として有名な子路。彼は衛国に出仕していたがクーデターに巻き込まれてしまう。主君と助けようと反乱軍に突入するところを止められた際に言った言葉
「禄を食んでいる身でありながら、我が身の危険を免れようとするほど私は恩知らずではない!禄を頂戴している以上、主君を危険から救おうとするのは当然ではないか!!」
結局、子路は壮絶な最期を遂げる。師の孔子は、衛国のクーデターの報を聞いたとき、「恐らく子路は討ち死にするであろう」と悲しい予言をしている。
人間の清冽な気概と義侠心を表した、男心に響く言葉である。
楚の葉公(ショウコウ)の言葉
「仁の道を固く守ってこそ信義を重んじるといえるのだし、又、義に従って行動してこそ勇を好むといえるのです」
体裁は体裁として、その内面に芯が一本通っているべきであることを述べている。中身が伴わなければ、それは正しい在り方ではないのだ。
楚の白公勝の乱の際に葉公が反撃を促されて
「危ないことをやって味を占めれば、欲望は募る一方なもの。白公がでたらめを行えば民心は必ず離反する。その時期を待つことだ」
相手の自滅を待つ、というのは古代中国のセオリーであるらしい。
トップに成りあがったものや簒奪者はどうも終わりを全うすることは少ないようで、それは増長・慢心・驕奢にあるようだ。
逆に言えば、悪人に真っ向勝負を挑むより、力を蓄えつつ失策を待つ、というのが古今東西最も確実な方法である、ということかもしれない。
(左伝 了)
*次回からは【易経】を読み解いてゆきます。
2021年02月10日
左伝(13)

【中原休戦の時代】
斉の名宰相・晏嬰の若き日の言
「臣下たるものは、禄のためではなく国家の繁栄のためにつくすべきだ」
現代に当てはめるなら、「臣下」は政治家や役人というところであろう。こんにち、この心得が欠如している者のなんと多い事か。
なにも臣下(役人)だけの心得でもあるまい。自分なら「人間たるもの、金のためでなく精神の修養のためにつくすべきだ」って解釈する。
いわゆる理想論であるが、この言葉を基準に、正道を見失わないで生きてゆければいいのではないかと思う。
鄭の大政治家・子産の言葉①
「弾圧によって人の怨みを失くすことは出来ぬ。言論もこれと同じこと、弾圧するよりも聞くべきは聞いて、こちら(為政者)の薬とした方がよいのだ」
イエスマンの意見ばかりでなく、批判意見もキチンと聴いて自らの糧にしなさいなってこと。
最近の中国やミャンマーの情勢をみていると、とても危なっかしく感じるのは、この言葉が胸に残っているのと無関係ではないだろう。
鄭の大政治家・子産の言葉②
「天の働きは果てしなく深遠である。それに対し人間の働きの及ぶ範囲などごく狭いもの。人智によって天の意思を推測することがどうして出来ようか」
色々な解釈の仕方があると思うが、天の意思=天災、自然災害 と考えると現代にも当てはまると思う。また、原子力のような人間では完全に制御できないものも天の意思と考えれば、ストンと腑に落ちるのは自分だけだろうか。
鄭の大政治家・子産の言葉③
「政治には二つの方法がある。一つは緩やかな政治、もう一つは厳しい政治だ。緩やかな政治で人民を服従させることは余程の有徳者でないと難しく、失敗しやすい。だから、一般には厳しい政治姿勢をとった方がうまくいくのだ」
子産の政治方針である。緩やかな政治を水、厳しい政治を火に例え、水は一見怖くなく見えるため、かえって侮らせて水難を生じること、火は危険を感じさせるため、恐れて近寄らず結果として火傷の害も少ないと説明している。
このことを孔子は「人民というものは為政者が手綱を緩めればつけ上がりがちなものだ」と実に鋭く見抜いている。
いつの時代も、人間というものは玉石混合で様々な者が居るし、それこそ善良な市民から極悪非道の無法者まで同じ空間に存在している。そして、彼らが「大衆」になると周囲に同調して流され、善にも悪にもなりえる御し難い存在である、ということを揶揄していると感じている。
2021年02月09日
左伝(12)

【晋の復覇の時代】
晋の解張が矢傷(かなりの重傷)を負いながらも、同じく矢傷を受けている郤克(ゲキコク)を励まして言う。
「いったん甲冑をつけ武器を手にしたからには死はもとより覚悟のはず。これしきの傷、まだまだ戦えますぞ!」
結果、晋軍は斉軍を圧倒できた。
晋軍の侵攻に対し、楚軍も出撃する。晋軍の范文子が退却を進言しつつ言う。
「今の我々には我が君を天下の覇者とするほどの力はありません。しかるべき人物の出現を待つべきです」
同じような故事が、三国志の費禕と姜維とのやり取りにも見える。時勢と自分たちの実力を客観的に見て、理性的な判断をする必要性を示唆している。
極めて慎重・堅実な考えの人物であったことがうかがえる。
さらに言う。
「完全に内憂外患を無くせるのは聖人だけ。ふつうは外患がなくなってしまえば必ず内憂が起こるものだ。この際、楚を外患として残しておき、国内の団結強化を図るべきなのだ」
決して無理をせず、着実に覇権を固めてゆく姿勢の范文子の面目躍如たる言葉だと思う。
金儲けでもなんでも、僥倖(ラッキー)を当てにした一か八かの行動など1ミリ期待してはならない、確実に一歩一歩進めよ、という意味を含んでいる。
晋の欒鑯(ランケン)が父、欒書(ランショ)に対して
「他人の職分に手を出すのは越権行為であり、自分の任務をなおざりにするのは怠慢行為です。そして自分の持ち場を離れるのは反逆行為であります」
出しゃばりを戒め、責任の負い方を考えさせ、持ち場の死守を諭す言葉として心に刻むべきである。
先ずは自分の任務遂行を全うすべきで、他人の世話を焼けるほどお前は能力があるのか?と問いかけているようにも聞こえる。
しかしながら、適材適所になっていない任務・持場である場合、この言葉はさほど意味を持たないようにも思う。
2021年02月05日
左伝(11)

【楚の荘王制覇の時代】
「恭敬の心を忘れぬ人こそ、人民に慕われるのだ。(いくら主君の命令とはいえ)そういう人物を殺すのは道に外れた行為だ。かといって、主君の命令に背くのも裏切り行為だ。どちらか一つを選んで汚名を着るよりも、(どちらも選ばずに)死んだほうがましだ」
晋の霊公に、諫臣の趙盾を暗殺するよう命じられた力士(ショゲイ)の言葉。名君文公には似ても似つかない暗愚な君主をもった部下の悲哀を表している。
楚の荘王が周王室の鼎の軽重を問うた際、使者の王孫満が切り返した言葉
「鼎の価値は所有者の徳次第で決まるのであって、鼎自体の大きさや重さとは無関係であります」
得意の絶頂にあっても、礼儀や先達への敬意は忘れてはならない、ということであろう。自らの勢いと時代の流れが合っていないと天下をとれるものではない。力のみでは世論を味方にできないという意味も感じる。
逆の見方をすると、このような質問(鼎の軽重を問う)をされること自体、そろそろ衰えを自覚せよ、という客観的事実の表れなのかもしれない。
「『詩経』に、よこしまの民多きとき、ことさらに咎めだていたすな、とあるのは洩冶(セツヤ)のことを言ったのだろうか」
陳の君主霊公を諫めた老大夫・洩冶が佞臣に殺された(その謀略を霊公は知っていながら知らぬふりをしてわざと見逃していた)痛ましい事件を孔子が評して言った言葉。
佞臣のはびこっている世にあっては、いかに正義をもって事に当たっても結局は潰されてしまうものだということ。
少数派は無理をすべきではない、佞臣たちが衰えるのを根気強く待て、という教訓であろう。
2021年02月03日
左伝(10)
【晋・秦・楚 鼎立の時代】
楚の成王が相続者選びの判断を誤り、残忍な太子・商臣に弑される際に言った言葉
「せめて熊の掌の肉を食ってから死にたい」
熊の掌がいかに珍味で美味しいかを評する故事として伝えられる。
結局はこの願いも聞き入れられず、成王は弑されるのだが、いつの時代でも権力を引き継がせるのは、間違いを犯しやすいものらしい。
楚の成王が相続者選びの判断を誤り、残忍な太子・商臣に弑される際に言った言葉
「せめて熊の掌の肉を食ってから死にたい」
熊の掌がいかに珍味で美味しいかを評する故事として伝えられる。
結局はこの願いも聞き入れられず、成王は弑されるのだが、いつの時代でも権力を引き継がせるのは、間違いを犯しやすいものらしい。