2024年07月18日
老子・列子㉖

学問も根本を見失えば瑣末主義(トリビアリズム)に陥る。
人間には方法は知っていても実行する能力の無い者もおり、実行する能力はあっても方法を知らぬ者もいる。
利益は争いを目的としているわけではないが、利益を追えばいずれ争いが持ち上がる。
あらゆる動植物は全て人間と同じ生き物であり、貴賤の別はない。ただ単に知恵があり力を持つ個体がそうでない個体を補って食うだけの事なのだ。
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12:00
│老子・列子(中国の思想)
2024年07月17日
老子・列子㉕

万物が異なるのは生きている間でのこと、死ねばみな同じだ。生死はもちろん、賢愚貴賤も自然の成り行きであり、あれこれ区別する必要はない。
人があくせくするのは「長寿」「名声」「出世」「財貨」の四つの為である。これらにとらわれている者は鬼神を怖れ、他人を怖れ、権威を怖れ、刑罰を怖れる。これを自然に背く者と呼ぶ。
天命に逆らわない人は長寿を羨ましがらず、身分に拘らない人は名声を羨ましがらず、羽振りを利かせようとしない人は出世を羨ましがらず、金持ちになろうとしない人は財貨を羨ましがらない。こうした無欲の人を自然のままの者と呼ぶ。
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12:00
│老子・列子(中国の思想)
2024年07月16日
老子・列子㉔

見て見ぬふりをし、聞いて聞かぬふりをして細かいことを咎めだてしない人物にこそ国を任せられる。
天命は支配力ではない。真直ぐなものは真直ぐに、曲がったものは曲がったままに放っておくだけだ。長生きと若死に、栄達と不遇、貧乏と富裕、貴と賤、みな自然にそうなるのだ。(天命に対しては)人智の及ぶところではない。
天命は運命である。運命の前に人間の力は無力だ。地位も名誉も財産も全て無意味だ。無意味なものを追い求めて人は自らの自由を放棄しているのである。
古人は生も死も仮のものだと知っていた。故に心のままに行動し、自然の道に背かなかった。名利にとらわれず全てあるがままに生活していたのだ。
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12:00
│老子・列子(中国の思想)
2024年07月15日
老子・列子㉓

(一流の釣り師は)釣り場を前にして釣竿を手にすれば、一切の雑念が消え、心の中は魚の事しかなくなる。(一流の者とはこの集中力のある者をいう)
貧弱な道具で大魚を釣り上げられるのも、弱い力で強い相手に打ち勝てるのも、自然のバランスの中に溶け込んでそれ(自然の力)を利用するからである。政治のコツもこれと同じである。
商人は利益を追い、官吏は権勢を求める。これは自然の成り行きである。商人には思わぬ損失があり、仕官する者には不遇がある。これは天命によるものである。
徳を他人に分け与えるのが聖人、知財を他人に分け与えるのが賢人である。
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│老子・列子(中国の思想)
2024年07月14日
老子・列子㉒

人の見えないものを見ようと思ったら、人が省みないものを見ることだ。人が出来ないことをやろうと思ったら、人がやらないことをやることだ。
修練を積んで自信が生まれれば他の者と争ったりしなくなる。他の者と争って優劣をつけることがないので、世間に名を知られることもない。
誉められても名誉と思わず、貶されても恥とは思わない。成功したことを楽観せず、失敗しても悲観しない。恩賞を望むこともなく、刑罰を恐れることもない。利害・盛衰・哀楽にすら心を動かされることがない。これが聖人である。
世の中には色々な見解の相違がある。一つの事に拘泥して他を批判するのは過ちである。(世の中に)絶対的な善悪などありはしない。
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12:00
│老子・列子(中国の思想)