2023年02月17日
正法眼蔵随聞記⑮

20・実りの多い田を何万町歩も持っているより、わずかな芸を身につけている方が良い
・人に恩を施すときに、相手の恩返しを期待してはならない
・口を鼻と同じようにして沈黙を守れば、どんな禍もやってこない
・行いの堅固な人は自然に人から重んぜられる。学才の高い人はやがて人に追い越される
・己のみ利して他人を損なう者には必ず報いがある
恩返しを期待する恩の押しつけは欲望の裏返しである。
口は禍の元である。
学問は常に後生に追い越される運命にある。(日進月歩である)
利己的な人物は終わりをよろしくしないものである。
22・乞食する場所についても、『食べるものが無くなったらあそこで托鉢しよう...』『あの人に恵んでもらおう...』と考えるのは物を貯えているのと同じことで正しい生き方ではなくなる
・邪命食(じゃみょうじき)によって造られた身心はとりもなおさず邪命身(じゃみょうしん)である
施されることを計算してしまえば、感謝の心を失ってしまうものである。
23・貧しくてへつらわない人は有るが、富んで気が大きくならない者はない。他人に対して驕り高ぶってはいけない。(他人の)誤りを言い立て非難する(ような行為)のは驕りの心、甚だしい
・智者の見る前で負けるのはよろしいが、愚かな人の見る前で勝ってはいけない
・他人の間違いを言い立てた途端に、それは自分の間違いとなってしまう
社会的成功を収めると、人間は知らず知らずに驕り高ぶってしまうもの。ひたすら謙虚に、正道を歩むことが修養の作法である。
他人に対して軽はずみに批判することも、驕った心の裏返しである。他者を批判する前に自省することを習慣にしたいものだ。
(正法眼蔵随聞記 終わり 次回からは 五輪書(宮本武蔵) を読み解いてゆきます)
2023年02月16日
正法眼蔵随聞記⑭

14・自分の為に真心を尽くして言ってくれる言葉は、耳に気持ち良く入ってこないものである。
諫言は耳に痛し、というところか。
15・人の心は元々善悪はない。善悪は縁に従って起こるのである。人の心はどこまでも人の言葉によって左右されるものだ。
・知っていながらも教えの書物(教書)を重ね重ね読みなさい。
せめて他人の言葉に右往左往することはないようにしたいものだ。
書物の精読を勧めている。反復学習によって身に染みて覚えるものなのだ。
16・病気というものは気の持ちようで変わるかと思われる。
病は気から、は今も昔も不変である。
17・『口もきけず耳も聞こえない人にならなければ一家の主にはなれない』 この意味は、人が自分をそしっても耳に入れず、その代わり自分の人の悪いところを言い立てなくなれば自分の思う所を成し遂げることが出来る、というものである。
他人の誹謗中傷など気にせず(無駄な労力・時間をかけない)、自らも他人の批判はしない(無用の敵を作らない)ことがスムーズに目標を達成する方法なのである。
21・出家というのは、まず自分とか名誉とか利益とかを離れるべきものである。
とにかく無欲になれ、執着を捨てよ!という表現が何度も出てくる。一番主張したいのこれなのだろう。
2023年02月15日
正法眼蔵随聞記⑬

(正法眼蔵随聞記 6)
1・正道の乱れをただすのは縄が絡み合って固くなったのを解くようなもの、急いではいけない。よく結び目を見て解くのがよい。
・どんなに智恵・分別があって頭の良い人でも、道心が無く自己・利益・名誉を捨てられない人は本当の道理を理解することは出来ない。
改革や変革、改善、矯正は請求に行ってはいけない。丁寧に焦らずである。どんなに優秀であっても、自己保身、物欲、名誉欲を捨て去ることができない者は真理を理解することは出来ない。
2・人付き合いをせず自分の家だけで成長した人は、思いのままに振る舞い、自分の気持ちしか考えず、他者への思いやりや他者の気持ちを考えない。
引きこもりの我儘一人っ子は、人情の機微を理解することはない。
7・自分が仲間の学人に比べて優れた知恵を持っていても、議論や言い争いを好んではいけない。口汚く人を罵り、怒った目つきで人を見てはいけない。
どんなに能力があっても、ひけらかしや承認欲求に溺れ、好戦的な態度をとってはならない。しっぺ返しを食らう。 他者に放った敵意と憎悪は、必ずや自分に返ってくる。
10・千万の経論を学び得ても、自分に対する執着がとれなければ、しまいには悪魔の世界に落ちてしまう。
自身への執着を強く諫めているのが正法眼蔵随聞記の特徴の一つ。ある程度の執着は容認しても仕方がないとも思うが。この論理を悪用すると「所有財産を教団へ寄付せよ」という事件を引き起こすのではないかと思う。
12・悟りを得た人間はこんなではない。金玉と石ころを等しく見る。仏法においては物に軽重はない。ただ人間の分別判断と好き嫌いに深い浅いがあるだけである。
悟りを得ると、有する価値を客観的に判断するという非常にシンプルな思考になるのだと思う。
2023年02月14日
正法眼蔵随聞記⑫

8(1)・言葉に出す前に考え、行為に移す前に考え、考えるたびごとに善であるなら言ったり行ったりすべきである。
・道を守って死のうとも道無くして生きていてはならない。
何事も慎重に慮を巡らし実行すべきである。生きてゆく規範を失うことは、死に等しい。
8(3)・仏道を学ぶ人は常に明日を当てにしてはならない。今日、ただ今だけと思って仏の教えに従って行じてゆくべきである。
明日が必ずやってくるとは限らない。今を懸命に生き、全力を尽くせ。
10・悟りは住まいの良し悪しによるものではない。ただ、座禅をするかしないかにかかっている。
環境に言い訳にしてはならない。ひたすら実践、実践、実践によってのみ成果は得られる。
12・出家人は元々財物は持たないものであるから、知恵や功徳を宝とする。
・法に従って責めさいなんでも、荒い言葉を使うとその法も長続きしない。
身につけた無形のものこそ真の財産である。正しい手順で批判をしたとしても、その言葉に憎悪・悪意が含まれるならばその手順すら捨てられる運命となる。
2023年02月13日
正法眼蔵随聞記⑪

9(1)・財宝が多いと、その志がくじける。
・住居を考えず、衣食を貪らず、ひたむきに仏道を学ぶ。
赤貧下に身を置き、その困難な状況下で志の実現を図るというのが正法眼蔵随聞記のスタイルのようだ。
9(2)・仏道によって行ずべき道理があるならば、ひたすらそれによって行じなければならない。
行ずべき道理、とはセオリー、定理、鉄則、のようなものであろう。ひたすら遵守し継続することにその意義があるのだろう。
(正法眼蔵随聞記 五)
1・仏道を学ぶ人は自分の見解に固執してはならない。
・優れた点があれば順次優れた方に従うべきである。
・疑心を抱くのはよくないことだが、信じるべきでないものに固執して追求すべき意味をもよく考えてみないのはよくない。
頑固になってはいけないし、自分より優れている点は素直に真似するべきであり、かといって深く考えることもせずに妄信するのはよくない。柔軟に、客観的に、冷静に、を心掛けよ。
2・我見を離れる、というのはこの身に執着してはならないということである。
自身への執着を無くせば、無欲・無我になれる。