2023年09月14日
一休のことば⑱

「日々の為すべき正しい工夫は、弓を引いて東に向けて、邪悪そのものの心中の賊を射落とすことだ」
*堕落する根源は貪欲と呼ぶ貪りの欲がのさばりはびこるところにある。
*人は己の邪心と向き合って、自嘲しながら生きることは出来るものである。しかし、その邪心が生み出す金とか名誉への執着をきっぱり退けることは難しい。
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│ヘタな人生論より 一休のことば
2023年09月13日
一休のことば⑰

「待てよ、安心立命したいのも、迷いというものだな」
*忍辱とは、どのような侮辱や迫害をも忍んで受け止めて、これを恨まない修業をいう。
「有難そうな経文の巻物など、もともと便所のちり紙と同じくらいのものじゃよ。竜樹が竜宮から持ち帰ったという大蔵経も言葉を弄ぶ紙切れに過ぎない」
*現代では常識というものが幅を利かせている。では常識とは何か?それは不変の真理ではなく誰かの意図ではないか?
*仏法が形骸化して活力を失うと、宗門の派閥に君臨する者が権柄ずくで支配し、仏法の意味については経文の字義を勝手に拡大解釈してとんでもない珍妙な法論を展開するようになる。これは仏門だけでなく組織や政治も同じであろう。
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│ヘタな人生論より 一休のことば
2023年09月12日
一休のことば⑯

「他人の為に説法するなんて、これは偽善に過ぎないのだ」
「この世の人々の、浅はかな知恵に驕り高ぶる姿は、世界が滅亡するのではないかとさえ思わされる」
*窮状を訴える庶民の生活を政治家は実感しないし、経営者は従業員の首を切って社の安泰を図る。権力者はあてにはならない。自分を強く鍛えるしかない。
*人は現世を生きている以上は、『猜疑心を捨てよ』『煩悩を捨てよ』と思っていても、そんなことは不可能である。一休が言わんとするところの問題の焦点は、そこに【回心(気づき)】の心が大切だと言っている。人は迷いやすく、求道心と猜疑心との間を行ったり来たりするものなのだ。
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2023年09月11日
一休のことば⑮

「人の欠点ばかりを見て自分の過ちを知らず、日常の工夫は全て間違ったやり方で行っていては、少しの間でも『空』の世界に住むことは出来ぬであろう。」
*一休は形骸化した禅の作法を極度に警戒し、これを無視しようとするところまで意識が進んでしまっていた。
*何よりも、『この娑婆で前世も後世もしたたかに生き抜くのだ』という覚悟が一休にはある。
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2023年09月01日
一休のことば⑭

「もともと心というものは成仏しない本質があるのだ。人間が成仏できるなんていうのは仏の妄言であっていい加減な事ではないのか?」
*動物に情欲というものはない。情欲の本能を一人歩きのまま放置すれば邪な煩悩となる。(神や仏をモデルにした)道心の極まるところが悟りであり成仏という事である。成仏は出来なくても近づこうとの意識を持ち続けることに大きな意味がある。
*煩悩と呼ばれるものは、菩提心の側から見た一つの決めつけに過ぎない。
*権勢欲の裏には人を踏みにじる非常な暴力が控えている。
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