2024年12月15日
荘子⑯

(応帝王)
(お節介は要らぬ)
「聖人は他人をどうこうしよう等とは思わない。先ず己の天性を真直ぐに伸ばし人民にも各々自分に合った生き方をさせる。これが聖人の治というものである。」
(無名人の教え)
「心にある一切を捨てて無心に返れ。万物をあるがままに任せて作為を全て捨てよ。そうすれば天下は治まる。」
(心は鏡)
「自己に与えられた天性を全うするだけでよいのだ。それ以上付け加えようとするな。」
「至人の心は鏡のようなものである。自分はじっと動かない、来るものはそのまま映すが去ってしまえば何の痕跡も留めない。従ってどんなものにも対応出来てしかも傷付けられることは全くない。」
2024年12月14日
荘子⑮

(生死は一体)
「生まれるべき時が来れば生まれ、死ぬべき時が来れば死ぬ。この成り行きに安んじて従っていれば喜怒哀楽の情も入り込む余地が無い。」
(目覚めた人間)
「是非の別を立てて他を非難するより笑ってこれを許せ。笑って他を許すよりは自他の別を捨てて自然の変化に身を任せよ。自然の変化に身を任せ変化すら忘れ去った時こそあらゆる対立を超えた 道 と一つになれる。」
2024年12月13日
荘子⑭

「真人は外界の事象に自在に応じてゆくが決して徒党を組まない。先んじようとはせぬが意識的に下風に立とうともしない。常に独自性を失わぬが頑なではない。一切を享受する大らかさを保ってしかも素朴である。」
「真人は自己を固執せず世俗と同化しながらも世俗を高く超越している。深い思索に没入しているかに見えて無我の境地を逍遥する。」
「生死は万物に貫徹する法則である。故に人為ではどうすることも出来ない。」
「聖人は短命をも長寿をも、生をも死をも、全てを等しく肯定する。」
2024年12月12日
荘子⑬

(大宗師)
(道こそ真の師)
「天(自然)及び人(人為)を支配する法則を究めることこそ知の究極目標である。」
「真人は逆境にも不満を抱かず、栄達を喜ぶでもなく、万事をあるがままに任せて作為を施そうとしない。失敗しても気に病まず、成功しようとも得意がらない。」
「真人は生に執着せず、死も忌避しない。自身の存在をも一個の自然現象としてみなし死についてもあれこれと心を煩さわない。与えられた一切を素直に享受し、しかも執着を抱かずこれを自然に返す。」
2024年12月11日
荘子⑫

(徳充符)
(兀者:ごっしゃ の人望)
「一切の事物に取捨選択を加えず、全てを虚心に受け入れてゆく」
(情問答)
「好悪の念に捉われて我と我が身を損なうことなく、一切を自然に任せて人為的な付け加えをしない、と言うのが情を持たぬということだ。」
「人間の存在は(天から)与えられたものだ。故に好悪の念に捉われ我と我が身を損なうようなことはするな。」