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Posted by naturum at

2021年02月02日

左伝(9)

【晋の文公制覇の時代】

晋の重臣、子犯の言葉

「徳と義は利を生み出す根本であります」

「戦いの目的が道義にかなっていればいくら戦っても疲れるものではないし、逆に道義に外れた戦いならばたやすく疲れるものです」

正道と誠実の大切さを述べたのだと思う。しかし、世の中には一筋縄ではいかない輩が多く、なかなか思うようにはいかないと思うのだが。

楚の栄黄が令尹の子玉に諌言したが聞き入れられず、子玉の息子に語った言葉

「令尹が人民に思いやりを持たぬために、(結局は)自分で敗北を招くことになるでしょう」

結局、楚は晋に敗れ、子玉は自害する羽目になる。自国民に思いやりを持って接することができない者が、外敵を倒すことなど出来るわけもない。
翻って、今の政治家連中に本当に人民目線で活動している者が何人いるのやら…。

  
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Posted by godman at 06:57左伝(中国の思想)

2021年02月01日

左伝(8)




晋の文公制覇の時代

重耳(文公)を晋国に迎え入れることに成功した臣下の一人、介之推。他の者が人が変わったように功を申し立て褒美を授かろうとしているの見て嫌気がさした彼は隠遁を決意する。

(せめて自分の功を明らかにするよう言った実母に対し)
「人を批判しながら人と同じことをしたら、罪は一層重くなります」

「言葉は身の飾りにすぎません。隠遁する身にどうして飾りが要りましょう。身を飾るのは立身出世が目当ての連中がすることです」

人間の醜い欲望に接したとき、心ある人は嫌気がさすものである。最も、正義感に燃えるタイプの者はそれを正そうと熱く挑みかかかるのだろうが、心静かな争いを好まないものは俗世間との交際を断ち隠遁するしかない。
隠遁すると決めたら余計なことは一切せず静かに身を引くのが正しい在り方のようである。

  
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Posted by godman at 06:43左伝(中国の思想)

2021年01月29日

左伝(7)

【斉の桓公制覇の時代】

晋の献公が側室を正夫人にするかどうかを占った。吉と凶、真っ二つに分かれたが、都合のいいほうを取ろうとしていた。
それを見かねた卜官(占い師)が諫めて言う。

「匂いの良い草に、(匂いの)悪い草を混ぜて植えてしまえば、十年後には悪臭だけが立ちこめる」

朱に交われば赤くなる、と同義だと思われる。複合汚染の弊害を述べた言葉。

晋の太子・奚斉の後見人である荀息。暗愚な太子が暗殺された際、献公に後見人を命じられた彼は殉死してしまう。それを識者が評した際に引用した詩経の言葉。

「一度口にした過ちは、もはや取り消すことはできない」

一度請け負った責務は、果たすまで消えることはない。昔は『責任の取り方』が過激で、ある意味純粋であった。
しかし、責務が正しいことかどうかも正確に判断して、邪な依頼を断ることも今の世の中大切だと思う。

現在社会は特に些細な過ちさえも許さない非常に息苦しい世界。批判にさらされるものばかりではなく、批判する側も、その批判意見に責任を負うことを忘れてはならない。  
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Posted by godman at 06:40左伝(中国の思想)

2021年01月26日

左伝(6)



【斉の桓公制覇の時代】

魯国の曹ケイ荘公に謁見しようとしたときに言った言葉

「お偉い方たちは了見が狭くて目利きが利かぬものだ」

今も昔も偉い人々というのは自分の足元が見えていない皮肉

楚の屈完桓公を説得して言う

「武力によってではなく、徳によって諸侯を統率なさるならば誰も手向かわないでしょう」

トップたるもの、強権的ではいけないという戒め。北風と太陽みたいなものか?  
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Posted by godman at 06:35左伝(中国の思想)

2021年01月21日

左伝(5)

鄭の荘公小覇の時代

魯の隠公に大夫の衆仲が言った言葉

「武力は火のようなもの。使い方を誤るとわが身を火傷させてしまいます」

民を治めるのに武力(強制力)ばかり用いるのではかえって民の恨みが我が身に跳ね返ってくる。
何事も強権的・威圧的に物事を運ぶことはこれっぽっちも有益ではないということだろう。
馴れ合いに流されることなく、正道と思いやりを持って事に当たることが一番の方法だと思う。

「大義、親を滅す」

(全体の利益になるような)大義は、その肉親を(思う情すら)も超越する、ということ。
そうはいっても、その情を無くしてまで殉じる大義というものが果たして正しいものなのかは疑問である。

肉親が過ちを犯したとき、客観的に断を下せることが正しい在り方、くらいに捉えておこう。
  
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Posted by godman at 06:36左伝(中国の思想)